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日光杉並木国体
総評
「今、君と氷のハーモニー」をスローガンとした第51回冬期国体スケート、アイスホッケー競技会(日光杉並木国体)は29日、日光市総合会館での閉会式で4日間にわたる氷上の祭典の幕を閉じた。沖縄県を除いた46都道府県から史上最高の2269人(本県は93人)の選手、役員が参加。皇太子ご夫妻をお迎えしての閉会式、10年ぶりに国体に帰ってきた橋本聖子(山梨)の力走、本県関係でもスピードで久しぶりの優勝者を出し、アイスホッケーは初の総合優勝と話題の多い大会でもあった。県勢を中心に各競技の戦いぶり、今後の競技力、14年ぶりの地元開催の運営などについて振り返った。
アイスホッケー
気迫に満ちた準優勝(成年)
北海道戦で実力発揮(少年)
成年、少年とも「やればできる」ことを示した。
成年の気迫には目を見張った。象徴は準決勝の京都戦。前回、初戦敗退の苦杯をなめ、少なからず苦手意識があったはず。その上、序盤2点を先行され嫌な試合運びとなった。
去年の二の舞いか。外野の勝手な懸念をふっしょくするように、寺尾一彦主将を中心に踏ん張った。所狭しと全員が走り回り、あっさりと逆転勝利を飾った。
古河電工OB、学生ら9選手と、過去最大級の戦力補強もあった。しかし、百時間にも及ぶリンクでの練習が示すように「地元でぶざまな結果は見せられない」(入江淳夫監督)という強い意識が働いた結果だった。
少年はゲームを重ねるごとに波に乗った。初戦の宮城戦はひやりとさせられたが、準決勝・埼玉、決勝・北海道と文句のない試合内容を見せつけた。
特に決勝。北海道はインタハイ3連覇の駒大苫小牧はじめ全道の選抜選手で組織した。実力的には一枚も二枚も上のチームを相手に、互角のゲーム展開。惜しくも2‐3のスコアで敗れたが、チーム全員が実力を出し切った戦いぶりは称賛されていい。
競技力
ヒーロー出現を待望
競技人口増加の弾みに
日光市にとってスケートは「産業」。しかし人口の減少とともに競技人口も減っており先細り状態だ。
日光高校のスケート部員は現在12人。日光市の中学のスケート部員は男子3人、女6人が大会に出場するのみ。次代を支える小学生も数えるほどだ。
競技人口を増やすには、何といってもヒーローの存在だ。かつて星野仁氏(日本スケート連盟理事)、石幡忠男氏(三協精機監督)らが活躍していた時、また約25年前の日光第2期黄金時代の時も子供たちは憧れて後に続いた。
星野仁氏は強化策について十年に一人のスーパースターが必要とし、「スケートが好きな人は今後も必ず出る。可能性を発掘して、県連がバックアップし北海道などに”留学”させるのも方法」と言い切る。
アイスホッケーも同じだ。現在、日光市の三中学校に部があるものの中宮司中は、わずか10人。先の第21回関東中学大会では、始めて本県からおうざを神奈川件に明け渡した。またインタハイでは日光高が青森の八戸工大一高に敗れている。
スケート同様、「あこがれ」が必要で、日本リーグ古河電工の活躍は欠かせない。少年の日光高は近くに練習相手が不在で難しい面もあるが、”本州の雄”を守り何年かに一度は王国・北海道を相手に予定外のドラマを演じたい。
フィギュアは個人的にかなりの費用を要するとあって、広い普及は難しいものがある。市営リンクの練習解放などを充実、一歩一歩着実に上を目指したい。
来年2月には、本県で全国中学大会が予定されている。各競技がどんな選手育成、結果を出すか、注目したい。
運営面
施設好評、手慣れた運営
県の広報に物足りなさも
今回は日光、今市両市の開催。スピードの舞台となったアーデル霧降スポーツバレイ、アイスホッケーの行なわれた県立霧降アイスアリーナはともに初の国体使用となった。
アーデルでは36の大会新が誕生、「滑べるリンク」を改めて実証した。またアイスホッケーのゲームは霧降アイスアリーナはじめ細尾ドーム、今市青少年スポーツセンターとすべて屋内リンク。天候に左右されず、好コンディションで熱戦が繰り広げられた。霧降アイスアリーナの暖房つきの固定席(千六百席)も好評だった。
四会場が日光市内に集中、一番離れた今市青少年スポーツセンターでさえ、日光宇都宮有料道路を使えばわずか30分。競技関係者の移動の面でも申し分なかった。
運営もスムーズだった。冬期国体は7回目。インタハイ、インカレなど全国規模の大会も過去再三開催しているとあって手慣れていた。地元の日光、今市市の志職員、教員はじめ関係団体、小中高校生が舞台裏を支えた。
反面、局地開催の弊害も残った。競技開催地が一部に限られたため、県民の関心はいまひとつ。大会期間中でさえ県都・宇都宮の県庁舎には、開催を知らせる横断幕がわずか一枚。県庁前、県総合文化センター構内の広報用掲示板も、今秋開催の第20回全国育樹祭に使われていた。同時に「開催まであと30日」と表示する残歴灯まで設置して広報に力を入れた文化の国体・国民文化祭とは対照的だった。開催を誘致した県の対応には疑問符がつく。
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土屋 明仁(つちや あきひと)
akihito@j.dendai.ac.jp